吉田は多くの家屋が海から離れているが、それが干拓によるものであることを、この地区だけの歴史をまとめた『吉田村落史』(龍造寺辰馬氏編著)が教えてくれる。そこには対馬の一集落の開発の歴史が具体的に記されている。
開発には2種類あり、海や川などを埋め立てで干拓することを「開き(ひらき)」、荒地を開墾することを「発し(おこし)」 といった。勝手に開発することはできず、いずれも藩に出願し、藩は出願者の工事能力等を検討して完遂可能と判断できれば許可を出した。
原則として開きは10年、発しは5年で、それぞれ事情等に応じて5年の延長は認められた。そして開発が成就した場合は、開発者が耕作の権利を得る。もし期限内に完成すれば期限までの収穫はすべて開発者のものとなった。
『吉田村落史』には主な開発として、「開き」20例、「発し」2例が載っている。中には期限内に成就できず(ずるずる延長したのか、半世紀後に)取り上げられたもの。出願者が継続できなくなり、他人に譲った事案。親子2代で取り組み目標面積にとどかなかったが、藩は無償で息子に払い下げた事案など、いろいろあり、当時の農民の暮らしが垣間見えてくる。