1700年頃に曲に定住し「曲海士」と呼ばれるようになった鐘ヶ崎海士は、曲定住以前は高浜と鴨居瀬(かもいぜ)近くの紫瀬戸に住んだ。漁期の間の仮住まいだったらしいが、どちらにも海の神様である筒男三神を祭る住吉神社があった。住吉神社があったから、その2箇所を選んだのかも知れない。
明治時代になると、さらに島原、大分、広島、愛媛からの外来漁民が住み着き、ついには外来者が多勢(20戸:130戸)を占めるようになり、その漁民たちによって鶏知漁業協同組合がつくられた。そして対馬では始めて採藻権、地先権が外来漁民の手に移るという快挙を成しとげた。
以上のような歴史もあり、高浜をはじめ鶏知一帯では、「本戸・寄留」という対馬の昔ながらの観念は消滅していったらしい。