対馬全カタログ「村落」
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2021年2月1日更新
美津島町
高浜
【たかはま】
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外来漁民の村は、
温泉の村にもなった
対馬版プロジェクトX
 プロジェクトのスタートは1991年だった。ランドサット衛星の画像解析や空中写真で4ヶ所の温泉源候補地を特定。その中から1ヶ所に絞り、93年に試掘を開始。500mも掘れば出るだろうという読みは見事に外れ、美津島町は追加予算を余儀なくされた。隣の壱岐には昔から温泉があり、お年寄りはわざわざ壱岐まで湯治に行った。島民にとって温泉は夢だったが、諦めねばならない夢のひとつだった。
 試掘は地下1000mを少し越えたあたりで温泉の水脈に達した。泉温33.4度、泉質はアルカリ性単純泉。1995年5月16日の新聞は、対馬から温泉が出たことを大きく報じ、福祉や観光に活用したいという町長のコメントが載せられた。これには対馬中が湧いた。美津島町営温泉「真珠の湯」。島民の夢がひとつ叶った。
一重漁港
鶏知の港として発展
 約1700年前の古墳時代、大和朝廷の対馬統治の拠点が鶏知に置かれたという説は、ここに本格的な古墳が多いことを第一の根拠としている。また、大和朝廷との関係を強化するためにも東海岸である必要があった。
 今でこそ鶏知は海から遠ざかってしまったが、その頃の入江は鶏知のすぐ近くまできており、対馬海峡側でも浅茅湾側でも海に出るのに便利だった。その後入江は干拓され、港は鶏知から離れて高浜として独立した村を形成するが、1471年に出された朝鮮の書『海東諸国紀』にはまだ「高浜」の名はない。
根曽古墳群のある半島
数の力で成功した外来漁民の村
 1700年頃に曲に定住し「曲海士」と呼ばれるようになった鐘ヶ崎海士は、曲定住以前は高浜と鴨居瀬(かもいぜ)近くの紫瀬戸に住んだ。漁期の間の仮住まいだったらしいが、どちらにも海の神様である筒男三神を祭る住吉神社があった。住吉神社があったから、その2箇所を選んだのかも知れない。
 明治時代になると、さらに島原、大分、広島、愛媛からの外来漁民が住み着き、ついには外来者が多勢(20戸:130戸)を占めるようになり、その漁民たちによって鶏知漁業協同組合がつくられた。そして対馬では始めて採藻権、地先権が外来漁民の手に移るという快挙を成しとげた。
 以上のような歴史もあり、高浜をはじめ鶏知一帯では、「本戸・寄留」という対馬の昔ながらの観念は消滅していったらしい。
高浜漁協前の賑わい
【地名の由来】(探索中)
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