今は廃校となった志多賀小学校の敷地から、増改築のたびに色々なものが出土したそうだ。太形勾玉、須恵器と土師器の破片などで、字名をとって「権現平遺跡」と呼ばれている。出土品は、厳原の郷土館に保管されている。
また、同小学校の北側掘削面からは弥生時代後期の土器も発見されており、案内板にあるように、小学校建設以前、この丘陵地帯には大規模な住居遺構があったと考えられている。
枝村の志越に近い椎ノ浦は現在は無人だが、弥生時代から古墳時代の連続した7基の墳墓(石棺6,壺棺1)があり、「椎ノ浦遺跡」と呼ばれている。弥生の棺からは細型銅剣や珍しい剣把頭飾などが、古墳時代の棺からは漢鏡、鉄矛、鉄刀、鉄鏃、ガラス小玉など、さまざまなものが出ている。
椎ノ浦は志多賀から北北東へ約1km。この浦にもかつて人々の営みがあった。