対馬全カタログ「村落」
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2020年7月13日更新
美津島町
島山
【しまやま】
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石屋根の石を産した島は
新たな農業の
発信地となった
対馬の中の離島として
 浅茅湾のほぼ中央に浮かぶ島山は、浅茅湾で唯一の人の住む島であり、対馬の本島を除くと最大の島ということになる。1994年(平成6年)11月に、島山島と本島を結ぶ浅茅パールブリッジが開通するまでは、船しか交通手段がない、いわば離島の中の離島、僻地の中の僻地だった。
 しかし、かつて海上交通が当たり前の時代、それほど人が移動を求めない時代には、浅茅湾沿岸の村と大同小異だったはずだ。この村の周辺には弥生時代以前の埋葬遺跡も多く、農耕に使用していたとみられる石器も出土している。また、元禄時代(1700年頃)には9戸42人で、明治初期は11戸。多くはないが、当時としては特別少なくもない。耕地面積にふさわしい数字なのではないだろうか。
 しかし、明治から大正にかけて、他の村が入漁者の定住などで大幅に戸数を増やしたのに比べ、島山は浅茅湾の中央にあるだけに外海の漁には不利。戸数は微増だった。1875年(明治8年)15戸62人、1927年(大正13年)16戸121人。時代の変動による人口の増減はあるが、1970年(昭和45年)13戸67人から、2015年(平成27年)12戸31人と、戸数は12~14で安定している。
パールブリッジ
最高品質の石屋根の石
 島山は石屋根に使う泥板岩(頁岩けつがん)の生産地と知られ、その石は「島山石」として知られる。石屋根の石だけでなく、屋敷の敷石や壁石、墓石に使われることが多く、風呂の洗い場の床石などにも使用されている。万松院にある宗家32代義和公の墓石には島山石が使われているそうだ。
 石は海岸で採取されるので、船に積むのに都合がよく。対馬各地に団平船と呼ばれる船で運ばれた。
 かつては瓦が使えないので石を使ったが、現在では屋根を石で葺くのは瓦で葺くよりはるかに高価であり、石屋根の用途としては、県の文化財に指定された椎根の桐谷家の小屋の葺き替えが最後(1985年)ではないだろうか。経費は700万円だったそうだ。
石切場
新しい対馬の農業をめざして
 1989年(平成元年)から2000年(平成12年)にかけて、長崎県と美津島町により、島山地区の農地の造成と道路の整備が行われ、浅茅パールブリッジの完成によって、島山は国道382号線につながった。
 平地12haが造成され、そこを活用するために財団法人 美津島町担い手公社が発足。公社では、堆肥の製造・販売、農作業の受託、農業研修、さまざまなテスト事業が行われ、次代の農業の育成をめざしている。
 農作業の受託としては、近年急増してきた休耕地に対州そばを栽培したり、畑を借りて作物を育てたりしている。
 テスト事業として、果樹園ではブルーベリー、梅、銀杏が試験栽培され、また現在は終了しているが、対州馬の飼育、地鶏の放牧も行われていた。
対州馬の飼育
【地名の由来】 複雑に山が連なり一見すると陸続きと思われるが、ここはれっきとした島。ここの山は島だということをそのまま地名にし、通常は○○島の島を略して「島山」と呼んだ。そしてそこにある村だから村名も「島山」。
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