対馬全カタログ「村落」
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2021年2月3日更新
上県町
佐須奈
【さすな】
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江戸時代の良港は
対馬の北の中心と
なったが
小説の舞台となった村
 この村は、直木賞受賞小説「海狼伝」(白石一郎著)の中で海賊たちに占領され、その拠点にされてしまったが、もちろんフィクションだ。作者がこの地を海賊の住処(すみか)に選んだのも、地の利、地形など、さもありなんというロケーションゆえではないだろうか。
 その小説にも書かれているように、佐須奈は湾口から約1.5kmも切れ込んだ入江の奥にあり、古くから栄えた天然の良港だ。湾の中には大小の瀬が点在し、船の航行を妨げるが、それは同時に荒波を防ぐ役割も果たす。当時島府が置かれた府中(現厳原)からは遠く、朝鮮貿易を行う船の往来をチェックできる。海賊の拠点としては好位置にあった。繰り返すが、この小説はフィクションだ。
海の関所と密貿易
 1672年(寛文12年)に対馬海峡と浅茅湾を結ぶ大船越瀬戸が開通すると、浅茅湾を抜けて朝鮮に向かう船を管理するために、佐須奈に関所「船改番所」が置かれた。
 それまでの鰐浦の関所は冬季のみとなり、佐須奈が朝鮮往来のメインの関所となった。いわゆる御法度の品々、特に武具の持ち出しと、朝鮮人参の輸入が厳しく吟味され、違反した者には、死刑、流刑、奴刑などの厳しい刑罰が科せられた。密貿易は藩の財政を危うくする一大事であったからだ。佐須奈湾の北にある遠見山には遠見番所を置き、朝鮮海峡を渡る船の関所破りを監視した。
関所跡(案内と井戸)
朝鮮通信使の最初の寄港地
 船改番所設置にともない、佐須奈は朝鮮通信使の最初の寄港地となった。
 1719年の第9回朝鮮通信使・申維翰は、通信使としての日本紀行を『海游録』という本に著わし、その中で佐須奈について「(客館のある岸と)浦をはさんで民屋30余戸。みな茅を積みあげてその頂上を高くし、そのさまは盆を伏せたようだ。男は鬢髪して冠をかぶらず、服は袖が広くて袴褌(ズボン)を着けず、佩剣(腰に下げる剣)して危座(正座)する。女は高いまげを結い帯を結んでいる。船を操るのになれている。土地は痩せており田はない。・・・・・・島中物力が乏しく、供するところの日饌(食事)は、ただ葱、芹、青菜、豆泡(豆腐)、鮮魚のたぐいがあるだけ。」と記している。民家30余戸は少なすぎる数字だが、当時の佐須奈の様子が想像できる。
 また、1764年第11回朝鮮通信使では、佐須奈で初めてサツマイモを知った正使が、種芋とその栽培方法を持ち帰り、栽培させたと、記録されている。それにより、その後朝鮮で起こった飢饉から人々の生命を救ったと伝えられている。
佐須奈盛衰記
 佐須奈は1471年の朝鮮の書『海東諸国紀』では400余戸と記載されている。関所設置28年後の元禄の郷村帳(1700年)でも90戸となっているのを考慮すると、数字としてはあまりにも過大だ。歴史家によると、その多くは零細な塩焚き(製塩)の施設であろうとのこと。それに加えて、佐須奈が塩焚きで活気があったので、繁栄しているという先入観があったからかも知れない。
 塩は、朝鮮の米と物々交換をするための重要な資源であり、貧しい民のささやかな輸出品だった。しかし関所が設置されれば監視の目が厳しく、それもできない。
 古より続いてきた島民の生業ともいうべき製塩や交易は、江戸時代になり幕府と藩に規制され、島民の生産性は低いレベルで横ばいという状況になった。交易を独占した藩と府中の商人だけがしばらくの間は潤ったが、時代の変化に対応できず、藩の財政は困窮の一途をたどることになる。
 明治後の佐須奈は、自由貿易港になるなど、昭和初期まで船舶の停泊地として栄え、旧関所跡に税関が設けられ、対馬の北の中心地として発展した。それによって、1908年(明治41年)に3村合併で誕生した佐須奈村の中心となり、1955年(昭和30年)には仁田村との合併で成立した上県町の中心となった。
 しかし、行政の中心とはなったが、明治末期に東面(ひがしめ)の比田勝が港湾設備を整えると、湾の広さや航路上の利便性などで港湾としての繁栄は比田勝に移っていった。
鉄砲打ちが多かった佐須奈
 1700年(元禄13年)の郷村帳のデータで面白いのは、猟師が46人と非常に多いことだ。専業猟師ではないが戸数で割ると51%。対馬では瀬田の71%に次いで2位だ。全島で883人が銃を所持していた。
 狩りは特に農閑期に行われたが、佐須奈に猟師が多いということは、周辺で猪や鹿による被害が甚大だったということではないだろうか。また、今では保護の対象となっているツシマヤマネコも、江戸時代は狩猟の対象だった。
 猟師たちは、1700年に始まる「猪鹿追詰」、いわゆる猪狩りの主戦力だった。「猪鹿追詰」は北の方から10年の歳月をかけて行われ、約8万頭が駆除されたという。終了後しばらくは農民も楽になり、人口を増やすことにもつながったが、今度は鹿の害が問題となり、毎年冬になると各郷で鹿狩りが行われるようになった。
 また、猪鹿追詰と同時に鉄砲持っている猟師(農民)たちは、有事に備えた鉄砲隊の役も担わされ、侍とともに年に1回の点検と訓練に参加した。
2002年夏の奇っ怪
 2002年の夏休みの頃、テレビの朝のワイドショーに佐須奈が登場した。「巨大生物出現!」という見出しで紹介されたのは、素人ビデオで撮られた、なんと体長30センチ以上もある大ナメクジだった。しかしテレビクルーが到着した時には、そのナメクジは町民に塩をかけられて消滅していたのだった。
 1998年(平成9年)には、ヘビダコが出現したと騒がれた。こちらもちゃんと写真に写っている。ヘビだと思ったら、脱皮して頭が大きくなって蛸になったらしい。新聞社に写真を送ると青ダコの一種だと返事があったらしいが、タコが脱皮するかとの反論もあり、その真相はわからないまま。佐須奈は、ちょっとしたミステリアス・ゾーンなのだ。

※タコの吸盤は吸着力を維持するために脱皮するらしいが、当該写真に写っている脱皮がどの程度のものなのか、実際に見聞していないので判断不可。
トンネル開通で、快適!佐須奈ドライブ
 数年前まで、国道382号線をドライブしていて最も緊張するのが、佐須奈の南の崖の上のクネクネ道路だった。カーブでトラックが来るのに気付くと、人によって程度の差はあるものの緊張するのは誰も同じ。それが、2017年(平成27年)12月に解消された。
 大地1号(417m)、大地2号(207m)、美止々(みとど、679 m)のトンネルを3本つないだ大地バイパスは、「トンネルを抜けると、そこは佐須奈だった」と表現したくなるような快適さだ。
 「あがたの里」の蕎麦を食べたくなったら、気軽に行ける。島民の行動の自由さがさらに広がることになった。
そば道場「あがたの里」
【地名の由来】 「奈」は浦の意。「佐須」はやはり砂の洲からきており、時代とともに海が土砂で埋もれて洲になり、そこに村が誕生した。
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