対馬全カタログ「村落」
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2020年7月12日更新
峰町
青海
【おうみ】
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海峡の荒波、寒風と
対峙する村。青海
青海を観光名所にした段々畑
 四季折々の作物が植えられ、緑と、海の青、空の青とのコントラストが美しい、青海の段々畑。規模は大きくないものの、端正につくりこまれた畑の重なりは、対馬を代表する風景の一つとなった。
 青海は農業中心の村だ。明治10年(1877年)の郡村誌をみてもそれがわかる。26戸128人の村で、馬は30頭、牛は18頭もいるのに、舟は4隻だけ。明治になっても漁業は伸びなかった。だからこそ山の斜面の上の方まで畑をつくった。つくらざるを得なかった。
村の中央が田畑になり、それを住居が囲んでいるという、珍しい農村風景
堤防のない村
 朝鮮海峡とこの村を遮るものは何もない。堤防がないので、冬になれば荒波は浜の石を洗い、寒風は村を走る。対馬の名所となった段々畑も寒冷のため冬眠状態となる。春を前にすべての船が流されてしまったこともあったという。
 青海はもと南の木坂、北の津柳とともに木坂八幡の神領であったらしいが、のちに武家領となった。それがこの村のあり様にどう関与したかは計れないが、津柳、木坂の立派な堤防を思うと、何らかの関連性を想像してしまう。
寄り神伝説
 この村の有名な伝説に寄神伝説がある。左衛門次郎国広の夢に神が現れて、明朝ここの浜に寄るので社を建てて祭れば加護する、と言った。明朝浜に出てみると大きな石が2片青い海に浮いて流れてきた。国広が扇を開き、昨夜の夢に出てきた神ならば扇の上に上りたまえ、と言うと、石は扇の上に上った。そこで社を建てて祭った。
 神の寄ってきたところを寄神崎という。その社、寄神神社は浜の南にあり、今も村を守っている。
海に向かって立つ寄神神社の鳥居
ヤクマ祭りと両墓制
 木坂の海神神社の氏子だったので、木坂と同様の風習が残っている。
 ヤクマ祭りは木坂と同様、旧暦6月(新暦7月)初午の日に行われる。村の男たちは石の塔を積み、御幣を立て、麦の甘酒、小麦餅、ハタキモン(小麦とえんどう豆の団子)を供えて、木坂の天道の神山の方を向いて礼拝。 
 またかつては両墓制もあった。海岸の砂丘に埋め墓、お寺(慈眼寺)に拝み墓を置き、法事は拝み墓で行った。
ヤクマの塔
【地名の由来】 かつて「比の浦」と言われていたと言われ、その「比」が、漂流船のために火をたいて浦の位置を教えたからか、漂流船のために立札(碑)を立てたからなのか、2説ある。
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