対馬全カタログ「村落」
観光  食  特産品  歴史  社寺  生き物
村落  人・暮らし  アウトドア  キーワード
2020年7月26日更新
上県町
西津屋
【にしつや】
ツツジと西津屋蕎麦は
姿を消したが
野菜だけは今も健在
かつて対馬でツツジといえば
 いつの頃からの村かは定かではないが、鎌倉時代に宗氏と阿比留氏が争った時、佐須奈を拠点としていた阿比留禅祐坊の子女がこの村にかくまわれたという話がある。おそらく平安時代以前に成立していた村ではないだろうか。
 かつて西津屋といえば、対馬では西光寺のツツジ(キリシマツツジ)と西津屋蕎麦で有名な島内観光地だった。
 西光寺は住職はいないが廃寺ではない。仏事があれば同宗派の寺から担当の僧が駆けつける。そんな寺を無住寺というらしい。そのあまり広くない境内でキリシマツツジの巨木は美しい花を咲かせ、島内からの花見客で賑わった。しかし、1975年(昭和50年)ごろから、寿命を全うしたかの如く枯れてしまったそうだ。1973年に寺守りをしていたおばあさんが殺されことを嘆いたのかも知れない。(犯人は他の村の労務者で4日後に捕まった。)その後、その子孫と思われる幼木が花を咲かせていたが、2020年、村の人に聞くと西光寺のツツジは咲いていないようだ。
西光寺のツツジの幼木(2003年)
西津屋蕎麦が食べたいんですが・・
 蕎麦の方はどうだろう。つなぎを全く使わないから蕎麦純度100%。だから麺に打って茹でると短く切れるが、蕎麦の旨みがダシに溶け込んで、絶品だという。
 前回取材(2003年)の頃は、西津屋で蕎麦を栽培している家は3、4軒だということだったが、2020年には2軒に。自分の家で食べる分だけ栽培しているそうだ。
 以前は、旅行者が西津屋蕎麦を手に入れるには、道で会った西津屋の人に、「西津屋蕎麦が食べたい」と、とりあえず言ってみて、運がよければ美味しい西津屋蕎麦にご対面することができるだろう、と書いたが、2020年はほぼ不可能と書くほかない。
野菜と長寿
 かつて西津屋は対馬一の長寿集落で、日本全国でも第3位だったという。1964年(昭和39年)の調査で、70歳以上が人口に占める割合、という極めてシンプルな統計だが、この当時はまだ過疎もさほど問題ではなく、この数字(西津屋は11%)だけで、長寿村かどうかを判断したようだ。
 その長寿の理由として、西津屋は、畑が多く、甘藷、野菜、蕎麦の産地であり、健康によいニンジンやカボチャもつくり、海草を多く食べていることが挙げられている。つまり栄養のバランスが理想的ということらしい。2020年現在、長寿集落を示すデータには出会ってないが、どうだろう。
 現在、西津屋の新鮮な野菜は佐須奈の「やまねこ楽市場」で、毎週火・木・土の朝市で買える。これは2003年と変わっていないが、陳列される野菜の種類と量は減ったという。
佐須奈の朝市の西津屋野菜(2003年)
2020年の朝市。野菜が少なくなっている
「あなた」も「こなた」に
 かつて民家は2ヵ所に分かれ、上里の家を「那辺(あなた)」下里の方を「這辺(こなた)」と呼び、「こなた」は海際にあった。
 江戸時代は農業がメインで、漁業はサブだったが、時代とともに漁業の比重が増え、それにともない上里の家々も下里の方に。現在ではほとんどの家が「こなた」に集まっている。決して農業がおろそかにされている訳ではないようだが、高齢者が農業の中心であることは他の村と変らない。
海岸沿いに立石と漣痕
 西津屋の名所としては、立石と漣痕が挙げられる。立石は堤防からでも眺めることはできるが、漣痕は2020年現在、見物するのは容易ではない。
 南西へ海岸沿いの道を700~800m行ったの辺りにあるが、かつては車でも通れた道が通行止めになっている。崖崩れの可能性があるのだろう。危険箇所が取り除かれるまで待つしかない。
 漣痕は高さ約8m、長さ約60mということだ。
立石は、海からの西津屋の目印
【地名の由来】 かつて風待ち、潮待ちのために船商人が集まる港で、その宿を邸家(つや)とも言った。当時の主要港の西にあったので、西のつや。
Ⓒ対馬全カタログ