佐護平野を流れる佐護川の河口の左岸にあるが、それは干拓後。かつては海辺の村だった。田や畑が少なく、漁業と製塩をなりわいとした典型的な対馬の村だったが、ここには上島における天道信仰の中心、天道山がある。
かつては島のいたるところにあった信仰の山「天道山」だが、明治以後、天童信仰の衰退とともにその多くは信仰の対象ではなくなっていった。1471年の朝鮮の書『海東諸国紀』に天神山として紹介されているこの山は雄嶽と雌嶽の二峰からなる。雄嶽に御子神、雌嶽に母神を祭る祠があり、入山は現在もタブー。天神多久頭魂(あめのたくづたま)神社と呼ばれている。麓には遥拝する祭場があり、左右に石積みの塔が並んでいる。