対馬全カタログ「村落」
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2020年7月16日更新
上県町
【みなと】
北の信仰の里は
ツシマヤマネコの里
でもあった
天道山のある村
 佐護平野を流れる佐護川の河口の左岸にあるが、それは干拓後。かつては海辺の村だった。田や畑が少なく、漁業と製塩をなりわいとした典型的な対馬の村だったが、ここには上島における天道信仰の中心、天道山がある。
 かつては島のいたるところにあった信仰の山「天道山」だが、明治以後、天童信仰の衰退とともにその多くは信仰の対象ではなくなっていった。1471年の朝鮮の書『海東諸国紀』に天神山として紹介されているこの山は雄嶽と雌嶽の二峰からなる。雄嶽に御子神、雌嶽に母神を祭る祠があり、入山は現在もタブー。天神多久頭魂(あめのたくづたま)神社と呼ばれている。麓には遥拝する祭場があり、左右に石積みの塔が並んでいる。
社のない天神多久頭魂神社と天道山
信仰の北の極として
 この村には神御魂(かみみたまorかんむすびの)神社もあり、神皇産霊(かんむすび)神を祀る。天神多久頭魂神社と、神皇産霊を祭る神社の組み合わせ。下島の豆酘(つつ)には多久頭魂神社と高皇産霊(たかおむすび)の関係に似ている。さらに範囲を佐護平野一帯に広げると、恵古(えこ)に観音堂もあり、かつて亀卜(きぼく=青海亀の甲羅を使った占い)も盛んで、豆酘と同様水田も多い。
 どうしてここが天道信仰の北の中心となったのかだが、やはり佐護平野の恵み(稲作)を受けた、力のある土豪が統治していたからと考えられている。そしてそれは豆酘も同様だ。
新羅国史殉国之碑
 5世紀の初め頃、この地で殉死したといわれる新羅の忠臣を称えた顕彰碑が、この村の漁港横に立てられた。倭国に質として送られた王子を請け出して帰国する直前、ここでトラブルが起こり、自らを犠牲にして王子を帰国させたという。
 1600年くらい前に起こった、他国の家臣の殉死を称えるための顕彰碑を建てようと動いたのは、郷土史家の永留久恵氏だった。雨森芳洲が唱えた「誠信交隣」の精神を感じる出来事だ。
湊漁港横に建てられた新羅国史殉国之碑
ツシマヤマネコに会いたければ
 ツシマヤマネコは大陸性のネコ科の動物として広く知られているが、対馬の地理的異色性を示す格好の素材だ。1971年には国の天然記念物、1994年には国内希少野生動植物種に指定された。かつて島全域に棲息していた。
 1994年から1996年に行われた調査では推定生息数は70~90頭。現在対馬でツシマヤマネコのことを知りたいというと、この村にある対馬野生生物保護センターに案内される。ここではツシマヤマネコの保護、育成が行われており、飼育されていることもある。センターは湊から車で5分の棹崎公園の中にある。
米軍に攻撃された砲台
 棹崎にはかつて砲台4門が置かれ、130人が駐屯していた。対馬で20数ヶ所あった砲台の中で棹崎砲台だけが米軍の攻撃をうけた。それは終戦の4日前の昭和20年8月11日で、犠牲者も出た。
 砲台跡は今では公園化され、戦争史跡としての価値下がったが、空気の澄んだ日には韓国の山々を望められる。また、海からの強風で木々が一方向に傾いた様は対馬の自然の厳しさが実感でき、一見の価値がある。
公園化された砲台跡
日本海方向から吹いてくる強風で枝が曲がる
【地名の由来】 河口を意味する水門(みなと)から。
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