対馬全カタログ「村落」
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2022年7月5日更新
上県町
越高
【こしたか】
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最近は縄文遺跡の村として
有名になったが、
古くから知られた農業の村
縄文早期の対馬が眠る
 ひと山越せば伊奈というところに越高はある。その「高い所(山)を越す」がここの地名の由来という説もある。伊奈までは道なりで1.5km弱。かつては70mほど登って山を越えたが、現在はトンネルがある。
 対馬最古の遺跡といわれる越高遺跡は、伊奈に向かう道を左に、つまり西にそれ、海岸を岬の方にしばらく歩いた辺りにある。1970年(昭和45年)に対馬郷土研究会によって発見され、1976年(昭和51年)の発掘調査によって縄文早期末、前期前葉の土器・石器・黒曜石が出土(越高遺跡B地点)。さらにそこから70mほど離れた海岸近くからも土器や石器が発見された(越高遺跡A地点)。
かつて越高遺跡A地点には案内板が立っていたが今はない(2003年撮影)
A地点は越高尾崎遺跡、B地点は越高ハヤコ遺跡とも呼ばれている
韓国系土器と縄文土器の混在
 A地点とB地点、ふたつの遺跡の調査を総合して言えることは、縄文早期末から前期も早いうちは韓国系の土器のみで、次第に九州系の土器(轟式土器)が混じるようになったこと。石器に関しては、黒曜石とそれを加工した、北九州でよくみられる大型の石鏃(矢じり)が出土。黒曜石の大半は佐賀県伊万里の腰岳産で、同様の黒曜石と九州系の土器が韓国の同時代遺跡から発見されている。縄文前期、紀元前5000年頃も、大陸と日本列島の間に、対馬を挟んで交流があったことが確認された。
 2017年(平成29年)に、越高遺跡の発掘調査が対馬市教育委員会と熊本大学によって行われた。隆起文土器や石器以外に、四角形の「炉」跡が見つかるなど、新たな発見が報告された。当時の暮らしがより鮮やかに解明されつつある。
丸く囲んだ2カ所が越高遺跡。左がA地点、右がB地点
(上)2017年の発掘調査で、韓国のものと同じ隆起文の土器や日本の石材で作られた石器などが出土 (下)石で四角く囲った「炉」も発掘    写真:古場公章氏
4次、5次、6次、7次調査で確度を高めた年代推定
 熊本大学による4次(2015年8月)、5次(2016年9月)、6次(2017年9月)、7次(2018年9月)の調査では、放射性炭素年代測定法等を用いて、より科学的な年代推定が行われた。
 A地点に関しては2回の空白期をはさみ、3期に分けられ、全体で約1200~1300年にも及ぶそうだ。Ⅰ期が7200年前~6900年前、Ⅱ期が6600年前~6400年前、Ⅲ期が5900年前~5800年前。B地点の営みはA地点のⅠ期に重なり、同時期に2つの営みが存在していた可能性も高まったという。
また、1970年代の調査ではアカホヤ火山灰降灰の地層(7300年前の海底火山喜界カルデラ大噴火による降灰層)の上の地層であることから、年代が曖昧だった1978年調査の年代推定は「7200年前から」と明確になった。
伝統的に農業の村だが
 越高には船が少ない。かといって土地も多いわけではない。しかしこの辺では、越高は農業の村として知られていた。この村の人たちは近隣の村を開田し、そこを耕すことで自分たちの農業を維持してきた。しかし今はその農業を継ぐ者が減り、他所の家に収穫の一部を払い、耕してもらっている家も多いという。
田も畑もしっかり管理されている(2003年)
【地名の由来】 諸説あるが、伊奈に行くのに高い山を越さなければならないので、「高みを越す」→「越高」ではないかという説がわかりやすい。
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