遺跡の存在により、古里が弥生時代以前からの村であることは明白とされている。1971年(昭和46年)に箱式石棺4基が発見され、塔ノ首遺跡と名付けられたその遺跡の出土品には、九州産土器や広形銅矛を中心としながらも、半島産、中国産の土器が混じっており、海を越えて広く交流があったことを今に伝えている。
現在は古里の遺跡として紹介される塔ノ首遺跡だが、実は西泊に拠を置いて交易で活躍した豪族のものではないかという説が有力だ。古里の本村が遺跡から離れているのに比べ、西泊の字である田ノ越は塔ノ首のすぐ東であることが主たる理由となっている。しかし、弥生時代の墳墓は在所よりは海に近い、村から離れた岬につくられることが多い。“塔ノ首”もかつては岬。古里の中の一派が交易をはじめ、それに最適な場所をもとめて“塔ノ首”を越え、西泊の集落をつくったとは考えられないのだろうか。
なお、塔ノ首遺跡は1977年(昭和52年)、国指定文化財に登録されている。