五根緒がもっとも賑わったのが、他の対馬の村々もそうであるように大正の頃だ。明治になって対馬の海が解禁されると、本土の方から多くの漁業者が押し寄せ、新しい集落を構成したり、既存の村には寄留として定住した。
1926年(大正12年)、58戸388人。40年前の1887年(明治20年)より戸数・人口とも3倍以上に増えた。しかし、翌年の1927年(大正13年)には、戸数53戸人口395人に。1年で戸数が「5」も減るのは、外来漁業者が退出したからに他ならない。この頃から対馬周辺の漁獲量が減ってきた。
時代が50年ほど下った1980年(昭和55年)には、戦争、集団就職等を経て31戸114人に落ち着くが、それからは少子高齢化が押し寄せることになる。戸数はあまり変わらず人口だけが減る。2017年(平成29年)は24戸41人。
人口の半数以上が65歳以上というのを「限界集落」と呼ぶのなら、おそらく五根緒は限界集落。 この状況が続くと、住民の死去や転出に伴い集落の維持が難しくなり、無人化するということらしい。現代の篠田浅之助は現れないのだろうか。