対馬全カタログ「村落」
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2020年8月2日更新
上対馬町
芦見
【あしみ】
上対馬町南部では
珍しい遺跡の村。
かつては一帯の主邑か
古くは東海岸の中心地か
 大正時代初期の船着き場の道路工事で塚と推定される石積みが発見され、そこから人骨、鉄剣、陶質土器が出土した(尾崎遺跡)。陶質土器は朝鮮のもので、遺跡は5世紀のものらしい。
 芦見浦の浦口南側にある剣島の頂上には石棺が破壊された跡があり、土器片などが発見された(剣島遺跡)。こちらは6世紀のもので、上対馬町南部ではここだけらしい。
 地区北側にある能理刀神社は卜部の神社であり、ここで卜事が行われていたことは明白で、これらのことから、芦見は弥生時代以前からの村で、この辺り一帯の中心地であったと推定されている。 
 室町中期の朝鮮の書『海東諸国紀』(1471年)には戸数約100戸となっており、佐賀や佐志賀についで多く、主邑説を後押しする。
自然の風穴、「ウゲホ」
 剣島には岩を貫通した自然の風穴があり、「ウゲホ」と呼ばれ、かつての岩窟祭祀の地ではないかと言われている。古人の信仰では奇岩は神霊の宿る所として、パワースポットいはとして崇められたように、この風穴=ウゲホが信仰の対社象となったようだ。
剣島からは古代の祭祀に使われる青銅の矛らしきものも発見された。その矛が地名の由来とも考えられ、明治の頃までは剣島にあったと言われている。
数度の大火を超えて
 芦見は火事の多い村としても知られている。記録に残っている最初の大火は、享保14年(1729年)5月21日の大火で、百姓家18軒、隠居家19軒の、合わせて37軒と、当時のほぼ全戸が焼け、麦220俵なども焼失した。藩からは焼けた麦分と農具代が支給されたという。
 火事を遠ざけるという台所の神様・荒神が能理刀神社の境内に祀られたのも、その大火後と考えられている。しかし、火事はなくならなかった。
 昭和11年(1936年)1月にも村の大半を焼く大火事があり、昭和33年(1958年)5月には村の半分を焼く大火があった。さらに昭和42年(1967年)12月には15軒(16世帯)を焼失した。
【地名の由来】 東海岸では比較的川幅の広い芦見川だから、川口の干潟には広く葦が繁茂していたのではないだろうか。それが浦の風景の特徴、個性となり、葦の水際あるいは葦海→葦ミ→芦見、ということではないだろうか。
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