対馬全カタログ「村落」
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2020年7月26日更新
厳原町
安神
【あがみ】
中世の名残り、
「嶽の神祭り」が
今も息づく、共助の村
1年で世帯数半減の謎
 安神は、厳原市街から南へ約12キロ。車なら15分ほどの、東海岸に位置するのどかな村。人口は75人(平成27年国勢調査)だが、その半数は海上自衛隊下対馬警備所の自衛隊員だ。現在の主産業は漁業。農業は自給のためにする。
 人口統計の資料を調べていると、腑に落ちない点がある。世帯数がデータによって違う。市のデータでは平成6年の世帯数は「67」だが、翌年の国勢調査では「23」。半減どころではない、あまりにも差がありすぎる。おそらく自衛隊員の官舎をどうカウントするかの違いだと思うが、もしそうなら注記する等の配慮がほしい。ちなみに最新の国勢調査(平成27年)では16世帯となっている。
防波堤2本のシンプルな漁港(外堤防からの撮影)
古式を色濃く残す「嶽の神祭り」
 安神のもっとも重要な年間行事が、嶽の神祭りだ。祭日は旧暦の11月16 日で隔年開催となっている。対馬では、山の神、 嶽の神は各地にあるが、安神の嶽の神祭りは神話的な趣きをたたえており、保存が期待されている。
 祭事を執り行う者は神官+7名で、7名は当日未明に海に入って禊ぎをし、鹿の革の羽織を着用。神官と3名のみ、御幣(ごへい)、赤飯、御供米(おくま)、酒を持って神山に登り、山頂で神主が祝詞をあげてから供えた酒と赤飯をいただく。他の4名は中腹で、米1升、水1升でご飯を炊き、鰤(ぶり)を串刺しにして待ち、山頂組と落ち合ってから、鰤とご飯を食す。全員が下ってくると、川原で待っていた男たちとともに鍋で煮たものと酒で共食し、祭りは終了となる。
 嶽の神祭りがいつから始まったかは定かではない。作法が整ったのは中世のようだが、さらに古い時代を感じさせる何かがあるようだ。
 なお、村には木根神社(きのもとじんじゃ)という、藩主宗義真が社殿を造営したと伝えられる神社もあるが、「嶽の神」の祭神は別神だ。
木根神社の祭神は、スサノオの御子である大己貴命(おおなむちのみこと)
自分たちがやれることは自分たちで
 安神では、住民の手で公民館前のスロープを舗装したり、砂防ダムの作業道の整備を行う「行政任せにしない村づくり」が実施されている。
 自分たちがやれることは自分たちでやろうという「自助」や「共助」は、かつては当たり前だったのだろうが、今は全国的にその復活が叫ばれている。
 ここ安神では、人口減少にも関わらず、村の祭りを維持していこうという住民一人ひとりの強い思いが愛村精神を醸成しているのではないだろうか。祭りが核となり、地域の結束力が維持されているとも言えそうだ。
クリーンセンターのある村
 2002年(平成14年)に安神の村はずれ、地区の中心から山の方へ500mほどの所に「対馬クリーンセンター」が開設された。1日の焼却処理能力60トンを誇り、対馬全島のゴミを一括処理している。
 今や安神は「クリーンセンターのある村」として知られ、ゴミ収集車だけでなく、家庭ゴミの持ち込み等で一般人も自家用車でやってくる、比較的出入りの多い地区になった。もちろん道路も拡張整備され、急カーブはあるものの道も走りやすい。 
 クリーンセンター建設には反対運動が付きものだが、安神の場合はどうだったのだろうか。おそらく比較的すんなり受け入れたのではないだろうか。この点は住民取材後に文を改めたい。
対馬クリーンセンター
【地名の由来】 入江がなくすぐに青海原が望めるところからか。かつては「青見」と書き、永禄以後「青海」となる。
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