対馬全カタログ「特産品」
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2021年2月14日更新
若田石硯
【わかたいしすずり】
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1000年前からの
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自然と実用の共存
平安時代から使われていた名硯
 現在の硯の原型が中国で生まれたのは唐代後半の9世紀で、墨を磨る墨堂、墨汁をためる墨池を備えた長方硯が登場したのは、作硯技術が飛躍的に進歩した宋代(960~1279年)らしい。それが日本に伝わり、石を加工して硯を作るようになったのは室町時代終期(1500年以後か?)からと言われている。
 16世紀中頃に畿内を治めた三好長慶(1522年ー1564年)の遺品に長方硯があるが、墨堂がすり減り穴が空いている。当時はそれ程までに貴重品であったことがうかがわれる。
 多くの文書を残した対馬だから、実用性の高い硯への関心は高かったはず。ほぼ同時期には、室町終期には長方硯が使われていたのではないだろうか。
硯としての性能に優れる若田石
 若田石硯は、対馬市厳原町若田地区の佐須川上流で採掘される頁岩(けつがん)を使用している。頁岩とは板状に割れる泥岩のことで、泥岩とは粒の細かい堆積岩のことだ。(余談だか、近年話題になっている「シェールガス」の「シェール」とは頁岩のことで、あの緻密な頁岩の中に封じ込められているガス(実際は液体)を取リ出すのだから、最新技術は想像を絶する。)
 頁岩は対馬全島いたる所に存在するが、硯には若田の頁岩が最適とされている。青みがかった漆黒で表面に美しい斑紋や条線があり、 粘土が幾層も固まっているのが特徴。この石でつくられた硯は、墨をするときの滑らかさと程良い固さが好バランスを保ち、発墨性に優れおり、いい墨がすれると昔から書家、墨画家に定評がある。
 硯研究家・石川二男氏の著書『和硯のすすめ』(1985年刊)によれば、若田石硯は硯に求められるさまざまな性能を高い次元で満たし、あくまでも氏の個人的なランキングだが、日本における硯石26産地のうち若田石硯を第2位とした。
若田石採掘場
中国起源の製硯の歴史
 現在の硯の原型が中国で生まれたのは唐代後半の9世紀で、墨を磨る墨堂、墨汁をためる墨池を備えた長方硯が登場したのは、作硯技術が飛躍的に進歩した宋代(960~1279年)らしい。それが日本に伝わり、石を加工して硯を作るようになったのは室町時代終期(1500年以後か?)からと言われている。
 16世紀中頃に畿内を治め、当時最強の大名だった三好長慶(1522年ー1564年)の遺品に長方硯があるが、墨堂がすり減り穴が空いている。当時はそれ程までに貴重品であったことがうかがわれる。
 多くの文書を残した対馬だから、実用性の高い硯への関心は高かったはず。ほぼ同時期には、室町終期には長方硯が使われていたのではないだろうか。
満山家に始まる対馬の製硯史
 対馬で硯が製作されはじめたのは、江戸時代初期からといわれている。後期になると、厳原在住の満山俊三が釣針造りとともに若田石硯の彫刻を行い、現在の若田石硯の基礎をつくった。その子の満山綴喜は技術は継承したものの跡継ぎにめぐまれず、近所に住んでいた若者(初代芳秀)に若田石硯製作をすすめ、後継者とした。
 初代芳秀は16歳(1920年)の時に弟子になり、10ヵ月後には免許皆伝となったという。しかし満山家で習得した技法は「タガネ彫り」であり、さらなる上達をめざしてノミによる「突き彫り」習得のため、1914年(大正3年)に熊本の名工伊藤芳郎の許に弟子入り。3年間の修業の後「芳秀」の雅号をもらって帰島し、1924年(大正13年)「芳秀堂」を開業した。その後50年間、1975年(昭和50年)に没するまで、多くの名硯を残した。
文秀堂・伊藤芳郎氏来場記念写真:中央が伊藤芳郎氏、右前列が満山綴喜氏
29年の空白を超えて「芳秀堂」復活
 「芳秀堂」は初代岩坂芳秀の子・岩坂治人氏/2代目芳秀によって、2004年に29年ぶりに復活した。その間、若田石硯は数人の職人によって製作され、趣味としての硯づくりブームもあり、対馬の特産品としてのポジションを保ってきた。
 岩坂治人氏は、1974年に初代の手ほどきを受け、硯製作を取り組み、その年の長崎県展に入選したことがある。2代目襲名後は、独自に初代の手法を研究し、「木目模様」「鉄さび模様」など、それぞれの石の特徴を生かすさまざまな技法を手に入れた。
 さらに初代が残した製作途中の硯や、ネット経由で入手した初代芳秀作の若田石硯を見本とし、初代芳秀が考案した「石の個性を大事にしながら、自然の面白みや風雅を生かしたデザイン」と、硯としての機能性が両立した作品をめざしている。
 2020年にはそれまでの功績と優れた技能が認められ、厚生労働大臣から「現代の名工」として表彰された。
大胆と繊細が求められる硯づくり
 「芳秀堂」を訪ね、製硯作業を取材した。
 まず石の形を見て、墨堂、墨池の位置と形状を決めるところからはじまる。型紙を作成し、その形状を石に写すと、大まかなデザインをイメージしながら 硯縁を削り出していく。その際は、その石の個性を生かしながら、自然の趣を感じられるよう、大胆に削っていくのが2代目芳秀流。長年培ってきた美意識と読みと技が生きる。
 次に、用途に応じて刃先の違うのノミを持ち替えながら、墨堂、墨池を削り、磨き、さらに硯背部を平らにととの、その後に硯にとってもっとも重要な墨を擦る面・墨堂を仕上げる。
 墨堂を磨くために、荒砥、中砥、仕上げ砥と3段階の砥石を使うが、最も重要な仕上げ砥に対馬の浅茅湾で採れる対馬砥石を使用。さらに、原石の硬軟と砥石の硬軟の相性を見極めながら、硯の命ともいえる鋒鋩(ほうぼう:硯の表面にある微細な凹凸のこと。 墨を磨る際にやすりの役割を果たす)の立ち具合を確かめながら磨き上げる。
 その後、縁の角落としや仕上げ磨きを布製サンドペーパーで行い、最後に漆を指に付け、場所に応じて塗り分け、仕上げていく。石の個性を生かしながら、一品ごとに手彫りしているため、硯の色・形・サイズは世界に一つだけだ。
墨堂の縁を削る岩坂芳秀さん。ノミは右肩で押す
鋒鋩(ほうぼう)がしっかり立っていることが肝要
ふるさと納税の返礼品として
 2代目岩坂芳秀の若田石硯は、対馬に来ずとも手に入れることができる。「ふるさと納税」だ。対馬市の「ふるさと納税」の返礼品に若田石硯があり、2代目岩坂芳秀作も多い。
 高額納税の返礼品には硯、硯屏、文鎮、筆置き、水差し等の6点セットがある。それを受け取った方から、「立派な返礼品を送っていただき、ありがとうございます。職人さんにもその旨、お伝えください」と、わざわざメッセージをいただき、作硯の励みになったそうだ。
自分オリジナルの硯をつくろう
 若田石硯は現在5人の職人によって作られているらしい。作者によって作風が違い、硯選びの楽しみにもなっている。
 その中の職人3名が所属するのが、若田の流れをくむ「若田石硯匠会」、略して「硯匠会(けんしょうかい)」。厳原町下原の「体験であい塾 匠」では、「硯匠会」指導によるオリジナル硯作りが体験できる。
 体験する製作工程は「彫り」と「磨き」。あらかじめ切り出してある原石に、すった墨をためる「海(墨池)」を彫っていくが、墨をする平らな「陸(墨堂)」と「海」をバランスよく分割するのがなかなか難しいらしい。後はノミを肩で押さえ体ごと押し込むように丹念に削っていく。作業自体はシンプルだが、難しそうだ。石が彫り上がったら、最後に荒目の砥石や目の違うサンドペーパーを使い分けながら磨き、ひとまずでき上がり。つや出しは専門家にお願いし、後日自宅まで送ってもらえる。
 要予約で、連絡先は、体験出会い塾 匠 0920-56-0118 となる。
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