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平 成
前1~1C
2~3C
3C
4~6C
538
608
663
667
701
736
805
857
927
1019
1274
1281
1419
1443
1471
1510
1528
1587
1591
1592
1597
1602
1607
1635
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1692
1700
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1811
1861
1864
1868
1869
1871
1894
1900
1905
1921
1950
1968
1975
2004
紀元前7000年頃の対馬最古の生活痕跡(越高遺跡)
中期~後期の佐賀貝塚から3住居址、生活具、鹿笛
中期~後期前半の遺跡が多い三根が島の中心か
周辺の遺跡に平形銅矛の多い仁位が島の中心か
魏志倭人伝に「対馬国」として登場
畿内系古墳群が美津島町鶏知に出現
百済の聖明王が倭に送った仏像、小船越に一時安置
→奇跡に導かれ現在の信濃善光寺の御本尊(秘仏)
遣隋使 小野妹子一行、対馬に停泊
白村江の戦い → 664 防人・烽(とぶひ)を置く
金田城を築く
対馬より金が献上され、「大宝」と改元される
遣新羅使船、浅茅湾に停泊
→使徒たちが詠んだ多くの歌が万葉集に収録される
最澄、唐からの帰途、阿連(あれ)に帰着
天安元年の変 上県・下県の郡司らが国府を襲う
「延喜式(神名帳)」まとまる 対馬は29座が載る
刀伊の入寇 女真族の賊船が対馬を襲撃
元寇(文永の役) 宗資国(宗家初代)以下80騎全滅
元寇(弘安の役)
倭寇の活動が活発化する
新羅仏、高麗仏、般若経など様々な仏教文物が渡来
応永の外寇
朝鮮との関係回復
癸亥約条(嘉吉条約)締結
朝鮮国の『海東諸国紀』(中世対馬の情報多載)
三浦の乱:朝鮮の邦人居留地で乱→国交断絶
関係回復が進む
金石城落成
宗義智、豊臣秀吉より朝鮮出兵の意を明かされ、
交渉を命ぜられる
清水山城が築かれる
文禄の役
慶長の役 →2回の役によって島内疲弊する
朝鮮へ使者を送り、関係回復を図る
江戸期初の朝鮮通信使が来日
柳川事件 国書偽造が発覚
宗義真(~1692)が封を襲ぐ →寛文の改革始まる
権大夫一手支配(~1664) 藩の財政改革
桟原城落成 釜山の新倭館落成
雨森芳洲、対馬に赴任:その後、朝鮮外交に活躍
猪鹿追詰(~1709) 陶山訥庵の活躍
原田三郎右衛門がサツマイモの種を持ち帰る
→孝行芋栽培広がる
最後の朝鮮通信使(第12回)
ポサドニック号事件:ロシア軍艦が芋崎を占拠
勝井騒動(対馬の幕末政争)
明治維新
版籍奉還で厳原藩に
廃藩置県を経て、1872長崎県に所属
日清戦争(~1895)
万関瀬戸開削
日本海海戦:上陸したロシア兵を島民が救助
浅茅湾で真珠養殖が始まる
八学会連合対馬調査団が来島:宮本常一らが調査
→ 1953 離島振興法成立
対馬縦貫道路完成
対馬空港完成
6町が合併し「対馬市」が誕生