対馬全カタログ
            
 
リンク

豆 酘 【 つ つ 】

 

【地名の由来】単純に津々(港)が豆酘の字に変わったという説もあれば、海人のシンボルである蛇を表す筒に由来するという説もある。ちなみに住吉大社の祭神は筒男三神。

【名所】
美女塚:采女として宮中に召されるのを拒み、峠路で舌を噛んで自殺した鶴王の墓と言われる。以後、豆酘の娘たちは粗末な身なりを心掛け、継ぎはぎの着物ハギトウジンを着るようになったという。 
豆酘崎:初代の灯台は1909年(明治42年)に建設された。
樫ぼの遺跡:多久頭魂神社の横を流れる権現川の傍に並ぶ直径1.5mから2m、深さ1.5mほどの円形か楕円形の穴で、江戸時代につくられ約20基が発見された。常に川の水が流れ込むように設計されており、そこに樫の実を備蓄した。


【祭り】
サンゾーロー祭:旧1月3日に行われる。本文参照。
赤米頭受け神事:旧1月10日。本文参照。
カンカン祭:8月18日に行われる。浮き舟まつりとも呼ばれ、伝説の神功皇后の新羅征伐に由来する。
多久頭魂神社例大祭:10月18日に行われる。写真参照。

赤米の村は、対馬民俗の宝庫。
対馬でもスペシャルな村だ。

対馬に来たなら豆酘へ
 弥生時代以前からの村であり、境内社を含めると10の神社がある。この神社の多さが、この村がただの村でないことを伝える。戸数400余りの村に10社。しかもここには、日本建国神話の源流があり、「対馬神道」といわれる天童信仰のエッセンスがある。かつてここには忘れられた日本があると、全国の民俗学者から注目された時代もあった。しかしそれも半世紀前の話だ。今、外来者がかつての豆酘を体感できるのは祭りの日くらいかも知れない。
 豆酘は見るところも多い。多久頭魂(たくずたま)神社の境内には大小さまざまな神社があり、赤米栽培の神田もある。国指定重要文化財の首藤(すとう)家住宅は19世紀中ごろに建てられた典型的な対馬の農家の家。豆酘崎も岩礁の先端に灯台がある、対馬の代表的な観光名所。さらに、保床山古墳や樫ぼの遺跡などもある。 

日本建国神話の源流はここに
 現在、豆酘の神社は多くは、多久頭魂(たくずたま)神社の境内に集まっているが、高御魂(たかみむすび)神社は、かつては海辺の杜にあった。祭神の高皇産霊神(たかみむすびのかみ)はウツロ船に乗って漂着した霊石という伝説がある。
 この高皇産霊神が、対馬の北部に鎮座する神皇産霊神(かんむすびのかみ)とともに大和に遷されて皇室の祖神として祭られた。その祭祀を執り行うために対馬の古族・下県直(しもあがたのあたい)が上京したという。
 この二神は鎮魂の秘術によって多くの神々を産み、日本建国がはじまったとされている。天皇崩御の直後に行われる践祚大嘗祭(せんそだいじょうさい)の主神も高皇産霊神となっている。それほどの神社なのだが、今はひっそりと多久頭魂神社の境内の中にある。

天道信仰と観音信仰
 対馬神道とも呼ばれるテンドウは、神と仏が融合した対馬固有のもので、そこには古くからの民俗や神話に由来した古神道の要素を伝えたものが多いという。下県における天道信仰の聖地は、この村の北東にそびえる竜良山(たてらやま)で、神は山にあり社はない。多久頭魂神社が旧観音堂をもって社殿とし、そこが遥拝所となっている。
 天道信仰はその形成時(平安後期)に古くからあった多久頭魂の祭祀と関係し、その後観音信仰と強く結びついたらしい。対馬の六観音参りも天道信仰と関係があるからこそ、長く対馬の人々を引き付けたのではないだろうか。 
 多久頭魂神社の金鼓と梵鐘は国指定の重要文化財。梵鐘は1344年(康永3年)の鋳造だが1008年の造銘を残している箇所があり、中世前半に対馬を支配した阿比留氏に関するもっとも古い資料とされている。

赤米神事の変遷
 豆酘の民俗を残す行事としてもっとも有名なのが赤米神事だ。本来は高御魂神社の祭りで、『日本書紀』に「磐余の田をもって、わが祖高皇産霊尊に献げよ」と日神が命じたとあるように、「神田」でつくった赤米を高御魂神社に奉納した。
 その後、鎌倉時代になって供僧(ぐそう)という神仏融合の神職が誕生すると、天道信仰と赤米が強く結びつき、天道信仰が最高潮を迎える元禄の頃に竜良山は天童山となり、赤米神事はテンドウの祭として観音堂で行われるようになったという。
 赤米神事は、旧正月10日の「当受け」から「種おろし」「田植」を経て、旧10月17日「お吊りまし」、その翌日の「初穂米(はつほごめ)」と、1年を通して行われる。
 「お吊りまし」は、神田から収穫した米を新しい俵につめて、その年の当役の家の本座の天井に吊るし、神霊を請じ入れて「神様の俵」、ご神体をつくる行事。その翌日には、神米(赤米)を炊いて神前に供え、村中が多久頭魂神社に参拝して祭りが行われる。写真は多久頭魂神社の例大祭。残念ながら初穂米の神事ではない。 
 
ここには亀卜(きぼく)も現存する
 古代では重要な決定を行う前に神意を伺うため、あるいは新年の吉凶を占うために、海亀の甲羅に穴をあけて焼き、そこに生じる割れ目の意味を読み、神託とした。それを亀卜といい、そのほかに鹿の肩骨を使ったものを鹿卜(かぼく)といった。
 鹿卜は弥生後期には伝わっていたらしいが、亀卜は新しく、5世紀頃に対馬に伝わったといわれている。これらの術をあやつる人たちを卜部(うらべ)といい、日本では、対馬と壱岐、そして伊豆に住んでいた。そこで朝廷は、対馬から10人、壱岐から5人、伊豆から5人の卜部を京によんで卜術を行わせ、国の大事を占わせた。
 現在も豆酘では旧正月3日に雷(いかずち)神社の社前で亀卜神事が執り行われ、農作物の豊凶や風雪雨水の順凶、社会の動向や天変地異などの予知予報が占われる。この行事をサンゾーロー祭といい、国の無形文化財に指定されている。


豆酘崎
樫ぼの遺跡

高御魂神社

多久頭魂神社の梵鐘

多久頭魂神社例大祭の子供相撲