お船江はあくまでもドック&係留地であり、緊急時以外はここから出港することはなかったはずだ。出航予定日になると、お船江で、船頭、水夫たちが乗り込み、府中の西ノ浜まで移動して、乗船者を乗せ、荷を載せた。
府中から2kmも離れたところにお船江があるのは決して便利とはいえないが、久田に以前から造船所があったことが重要視された。
お船江を持つ藩は多いが、これほど見事に原型を留める例はまれで、近代史上貴重な遺構といわれている。古い写真と比較すると、石の積み替えは行われているのがわかるが、景観はほぼこのままだ。もちろん突堤の木々は当時は生えていなかった。