対馬全カタログ「観光」
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2021年2月7日更新
お船江跡
【おふなえあと】
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全国でも希少な史跡。
往時をしのばせる
藩の公用船専用ドック
大型船も係留できる藩専用ドック
 1663年(寛文3年)、対馬藩は府中(厳原市街)から南へ2kmほどの久田の手前に人工の入江を築き、そこを藩の公用船のドックとした。そこは「お船江」、あるいは「お船屋」と呼ばれ、4つの石垣で作られた突堤と、5つの船渠が設けられた。(現在左端の船渠は埋めたてられている)
 満潮時は大型船も出入りできる深さを確保しながら、干潮時は干上がって船底が露わになり、メンテナンスが容易になる。絶妙の深さが設定されたはずだ。
 正門・倉庫・休憩所などの遺構も残っており、その規模からも対馬藩にとって重要な施設だったことがうかがえる。
長期航海に耐えられる万全の整備を
 海に囲まれた藩らしく、対馬藩は多くの公用船を所有した。大型の公用船は瀬戸内海を抜け、大阪までも航海した。
 船頭を務めながら志賀窯(陶窯)を経営した吉田又一(吉田又一は府中在住の徒士格船頭という藩士)の船頭記録を見ると、下関に役人を迎えにいったり、幕府の巡検使を壱岐まで送ったり、藩主を乗せた御召船を大阪まで操船したり。長いときは渡航先での滞留も含めると半年になることもあった。
 航海から戻った公用船はお船江に入り、船体の点検や整備を行い、ここで再出港を待った。お船江の近くには、船大工や水夫(かこ)たちの住まいがあり、万全の整備態勢が整えられた。
波が抑えら、静かなお船江の中
原型を留めている貴重なお船江史跡
 お船江はあくまでもドック&係留地であり、緊急時以外はここから出港することはなかったはずだ。出航予定日になると、お船江で、船頭、水夫たちが乗り込み、府中の西ノ浜まで移動して、乗船者を乗せ、荷を載せた。
 府中から2kmも離れたところにお船江があるのは決して便利とはいえないが、久田に以前から造船所があったことが重要視された。
 お船江を持つ藩は多いが、これほど見事に原型を留める例はまれで、近代史上貴重な遺構といわれている。古い写真と比較すると、石の積み替えは行われているのがわかるが、景観はほぼこのままだ。もちろん突堤の木々は当時は生えていなかった。
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