対馬全カタログ「観光」
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2021年2月7日更新
琴の大イチョウ
【きんのおおいちょう】
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島民に愛されてきた
日本有数の
イチョウの巨木
「新日本名木100選」に選定される
 琴のイチョウは、樹高23 m、幹周13 mもある巨樹。1961年(昭和36年)に長崎県の天然記念物に指定された。さらに1990年(平成2年)開催の「国際花と緑の博覧会」で企画された「新日本名木100選」に選出された。長崎県からは2本選出され、もう1本は「奈良尾のアコウ」(長崎県南松浦郡新上五島町、国の天然記念物)だそうだ。
さまざまな苦難を乗り越えて
 他の木より抜きん出て大きかったことが災いし、1798年(寛政10年)には落雷にあう羽目に。幹は裂けて焼け焦げ、中に空洞ができた。この空洞には、近年までお稲荷さんが祀られていたそうだ。
 明治時代の初めには、近くの民家の火災が延焼し、木の一部が燃えるという被害にあった。その後蘇生して樹高は40メートルにまで成長したらしいが、1950年(昭和25年)9月の台風29号によって、今度は主幹が折れた。その後、横から子木が伸びはじめ、大きく枝を張り、勇姿は甦ったが、その70年後にさらなる苦難が襲った。
 2020年9月2日に対馬を襲った台風9号の暴風雨により、太い枝が折れた。ほとんどの葉が落ち、その無残な姿は新聞にも掲載された。
 回復にどのくらいの時間が掛かるかは分からないが、度重なる災いを乗り越えてきたように、力強く甦り、これからも村人や観光客の目を愉しませてくれることを期待したい。
琴の中心で圧倒的な存在感を放ち続ける大イチョウ
樹齢を最近の研究をもとに考えると
 イチョウは揚子江南部が原産で、中国で広く知られるようになったのが11世紀以降。出世や栄達のシンボルとして富裕層に人気で、仏教寺院などにも多く植えられたそうだ。
 日本への伝来期を特定する材料としては、1323年(至治3年)に中国から博多に向かい沈没した貿易船の遺物の中にイチョウが発見されたことが有力だ。この頃に日本に伝来したと考えられ、50年ほど下った南北朝時代の書物にイチョウが登場してくるのも辻褄があう。その後、室町時代前期から中期にかけて、寺社を中心に日本全国に普及したと考えられている。琴のイチョウも、長松寺があったから植えられたと考えた方がよさようだ。
 とすると、長松寺がいつ建立されたかは明確ではないが、島府が琴に近い志多賀や佐賀にあった、宗貞茂、貞盛、義職の時代(1398~1468年)ではないだろうか。琴にイチョウが植えられたのは1400年代のいつか、というのが適当ではないだろうか。
 いずれにしても、この巨木の前でさまざまな歴史が、人々の営みが展開されてきた。琴の大イチョウを眺めながら、この木の記憶をたどってみるというのも、この木ならではの観賞法だ。
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