2021年4月8日更新
コウライキジ
【 キジ目・キジ科 】
江戸時代に移入された
朝鮮半島のキジ。
今や対馬の誇り、対馬市の市鳥
その容姿ゆえか、狩猟目的で世界に広がる
コウライキジはその名前からわかるように、日本からすれば朝鮮半島由来のキジだが、意外に世界各地に分布している。学術名 はPhasianus colchicus(あえて日本語化すればコルキスキジ)。黒海とカスピ海に挟まれたコーカサス地方の古代王国コルキスに由来する。
自然分布はカスピ海沿岸から朝鮮半島までと広いが、さらに古代ローマ人によってイタリアに移入されてヨーロッパ全域に広がり、また北米大陸には1730年から、そして対馬にはその20年後の1750年頃から移入されたそうだ。また、対馬には中世に移入されていたという説もあり、可能性としては十分納得できるが、その後の生息の記録がまだ発見されていない。
1910年(明治43年)の朝鮮併合後、 1920年代から1930年代にかけて、日本各地に移入されたが、在来種キジ(二ホンキジ)保護のために本州以南は中止され、北海道だけが継続。多くのコウライキジが定着した。また、屋久島や沖縄島、石垣島などにも移入され生息している。
古代からこれほど移入、放鳥が盛んに行われた鳥もそう多くはない。そのすべてが狩猟目的だった。美味しい肉が災いしたのだろうか。さらに目立つカラーリングも狩猟には最適だったからだろうか。
枯れ草の中でもしっかり目立ってしまうオス
自然の中で目立つオス、目立たないメス
成鳥のオスの体長は約80cm。オスは顔から首にかけて暗緑色で、目のまわりには赤色の皮膚が露出している。首に白い輪状の模様があり、そこから下は褐色系の羽根でおおわれている。コウライキジは俗に「クビワキジ」とも呼ばれ、アメリカでの呼称も Ring-necked Pheasant(クビワキジ)となっている。
オスに比べると、メスは体長60cmほどと、一回り以上小さく、黄みのある灰褐色に黒い斑点と、オスの派手さとはまったく正反対の超地味。それが抱卵時などに外敵から身を守るためのカモフラージュになる。在来種キジのメスとの識別は難しく、それも交雑の一因だろうか。寿命はオス、メスとも、10年~20年らしい。
首輪がなく全体が緑色の在来種キジとは明らかに異なる。ちなみに在来種キジの学名はPhasianus versicolor(玉虫色キジ)。
番い(つがい)のコウライキジ
花の中にあっても目立ってしまうオス
キジ名物の求愛行動「母衣打ち」
コウライキジは低地にすみ、草原を好み、多湿気候には適応しにくいという。産卵期は5~6月で、1回に6~10個の卵を生む。しばしば木に登り,木の実をついばんだりもするらしい。
繁殖期になると、オスは「ケーン、ケーン」と叫ぶように鳴き、翼を素早く羽ばたかせてブルッブルッと羽音を出す。これは、メスを呼ぶ求愛行動で「母衣打ち(ほろうち)」という。メスが寄って来ると赤い顔を膨張させて頭を下げ、翼を半開きにし、さらに尾羽の上面を彼女の方に向けて扇状に開き求愛のディスプレイをして交尾を迫る。この求愛行動は在来種キジも同じだ。
だからだろうか、コウライキジと在来種キジは容易に交わり、その子孫も生殖能力を持つので、両者の交雑個体が増え、在来種保存が難しくなっている。本州以南で移入が禁止されたのも、在来種保存のためだった。
これが求愛ディスプレイ「母衣打ち(ほろうち)」
メスに向けて猛アピール
対馬市誕生とともに市の鳥へ
コウライキジを市の鳥に指定しているのは、対馬市のほかに北海道の千歳市がある。北海道には長万部町と日高郡に1930年から移入され、北海道に広く分布するようになり、1986年(昭和61年)に千歳市の市鳥に指定された。対馬市は2004年(平成16年)3月1日。市政に移行すると同時に、コウライキジを市鳥に指定した。
海外では、アメリカ合衆国中央部のサウスダコタ州で州鳥として愛されている(1943年指定)。
求愛行動が成功したか、メスに接近するオス
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