2021年4月1日更新
ヒトツバタゴ
【モクセイ科・ヒトツバタゴ属】
昭和天皇にも詠われた
対馬を代表する植物だが、
その謎は未だ解明途上
不思議な和名の謎解き
このなんとも不思議な和名の謎解きは、「ヒトツ」と「バタゴ」ではなく、「ヒトツバ」と「タゴ」の2つの要素にわけるところから始まる。
タゴはトネリコの方言だという。トネリコに似た木だが、トネリコは羽状複葉※、この木は単葉(つまり「一ッ葉」)なので、「一ッ葉のトネリコ」ということで「一ッ葉タゴ」→「ヒトツバタゴ」となったと考えられている。
わが国の図鑑に初めて載ったのが1825年(文政8年)。尾張の植物学者・水谷豊文がその著書『物品識名拾遺』(一種の百科事典)で取り上げ、「ヒトツバタゴ 秦皮一種 葉に技ナク ー葉ノモノ」(秦皮=トネリコ)と説明。彼がヒトツバタゴと命名したともいわれている。
また、別名として「ナンジャモンジャ」というのもあるが、これは明治時代に、東京神宮外苑近くにあったヒトツバタゴが見事で、有名にはなったものの木の名前がわからないので、とりあえず「なんじゃもんじゃの木」と呼んだことが起こりだそうだ。
ヒトツバタゴは確かに単葉だ 写真:國分英俊氏
※羽状複葉
(トネリコなど)
よく見ると、細い花びらが4枚
ヒトツバタゴは、モクセイ科の落葉高木で、樹高は10m以上、20m近いものまである。花が咲くとその部分が周辺から白く盛り上がって見え、存在感がある。
「ウミテラシ」の別名もあるが、それは純白の花が青い海に照り映える美しさから生まれたと言われている。
当年枝(その年に新しく延びた枝)の先に円錐花序※をつけ、その先に純白色の花が咲く。遠くから眺めると、花びらが重なり合い、花の実態がつかみにくいが、花冠が付け根まで深く4裂する、つまり細い長い4枚の花びらをもつ花だ。中には5裂、6裂の花もあるそうだ。
遠目には花びらの形は確認できない
花びらの長さは1.5~2cm 写真:國分英俊氏
※円錐花序
花期は桜の1カ月後、ゴールデンウィーク
花期は4月後半~5月上旬となっており、桜より約1カ月遅れ、ちょうどゴールデンウィークの頃に満開になる。鰐浦ではヒトツバタゴ祭が開催され、島内外から多くの人が集まり、大いに賑わう。
桜も人を高揚させるが、鰐浦のヒトツバタゴはそれ以上かも知れない。そして、満開後、落下する花は、竹とんぼのように回転しながら落下するという。
5月初旬の鰐浦
ただいま進化進行中か
ヒトツバタゴは「雌雄異株」というのが定説だったそうだが、よく調べてみると、「雌株」と思われていたのが「両性株」だったことがわかった。つまり、ヒトツバタゴには「雄株」と「両性株」の2種類あるということだ。つまり、雄しべをもつ花だけの木と、雄しべと雌しべをもつ両性花が咲く木があるということ。そして、その生育比率は1対1だそうだ。
両性花は自家受粉しやすく、近親交配が起こりやすいというデメリットがあるそうで、これを避けるための一つの進化として、両性株ではなく、雄株と雌株に分かれたりするそうだ。
ヒトツバタゴがその方向に進化していると仮定すると、ヒトツバタゴの両性株は、雄株へは進化を遂げたが、もう一方の雌株になるというプロジェクトに関しては、まだその途上ということになる。
あくまでも仮定での話だが、ただこれだけは言えるのではないだろうか。ヒトツバタゴの遺伝子は、両性株のままではダメだと知っている、と。
両性株は果たして雌株になるのか
分布は極めて局所的。岐阜県南部周辺と、対馬
ヒトツバタゴは、北アメリカ大陸の一部、中国の一部、朝鮮半島、台湾、そして日本に分布し、わが国では、対馬と、岐阜県南部の東濃地方を中心とする長野県、愛知県の一部(3県まとめて木曽川流域と表現されるエリア)に見られるだけだそうだ。
最近、近畿地方で泥炭化された20万年ほど前のヒトツバタゴが発見されという。その頃はヒトツバタゴがより広い範囲に繁茂していたこと、そして連続的に分布していた可能性を伝えてくれる。
それが今ではなぜ、かなり限定された地域、しかも800kmも離れた2つの地域にしか自生していないのか。自然の営みにどのような変化があったのか。いずれこの答えが見つかる発見があることを期待したい。
国の天然記念物「鰐浦ヒトツバタゴ自生地」
対馬では上対馬町鰐浦地区だけで、約3000本のヒトツバタゴが自生しているといわれている。鰐浦を囲む山の斜面などに生えており、毎年5月にはその3000本が白い花を咲かせる。
「鰐浦ヒトツバタゴ自生地」として、一帯が国の天然記念物に指定されのは、1928年(昭和3年)。100年近く前から鰐浦のヒトツバタゴは有名だったが、それが広く知られるようになったきっかけは、明治40年(1907年)頃の学会への報告だった。
その後、研究が進み、鰐浦のヒトツバタゴは、葉の大きさ・形・新芽の色・若葉の毛の長さなど数種類のものがあり、岐阜県東濃地方のものはそのうちの一種にすぎないのではないか、とも言われている。
何十万年も前、ヒトツバタゴは大陸から対馬を経由して日本列島に広がっていったのかも知れない。その後、さまざまな文化が対馬を渡っていったように。そんな意味も込められたのだろう、ヒトツバタゴは対馬を象徴する植物として、対馬市の「市の木」に指定された。
なお、長野県および愛知県では「絶滅危惧I類」、岐阜県および長崎県では「絶滅危惧II類」に指定されている。
わが庭の ひとつばたごを 見つつ思う
海のかなたの 対馬の春を
かつて昭和天皇は植物がお好きだと聞いた上対馬町の町長が、陛下にご叡覧賜りたいから宮城内に植えてほしい と、ヒトツバタゴの若木を宮内庁に持参したそうだ。
しかし、全国から各地の花木を献上されると収拾がつかなくなるので受け付けていないと、応対した職員から断られたという。ところが、時の宮内庁次長が帰りかけた町長を呼び止めて、「折角の珍しい花木ですから、内々で城内に植えます」と、機転を利かせてくれたという逸話がある。
その後、庭で見事に花開いたヒトツバタゴを昭和天皇が見られて大そう喜ばれ、1982年(昭和57年)5月に詠まれた歌が、この歌だ。(年月のデータは毎日新聞より)
わが庭の ひとつばたごを 見つつ思う
海のかなたの 対馬の春を
この御製の歌碑が、上対馬町西泊の公園に建てられているが、どうして鰐浦ではなく西泊なのだろうか。
青空と緑に映える“白” 写真:國分英俊氏